遺留分放棄許可の審判を受けた後に、事情の変更によりこれを取消しできるか

遺留分とは兄弟姉妹以外の相続人が最低限相続することが認められている権利です。

したがって、例え、遺言で特定の相続人に「全ての遺産を相続させる」と遺しても、他の相続人の遺留分を失わせることはできません。

ただし、遺留分については、あくまでも権利を主張することによって発生するものですので、遺留分を侵害された相続人が、遺留分を主張するつもりがなければ、放棄することが可能となっており、この遺留分の放棄は、被相続人の生前にすることも可能です。

もっとも、遺留分を生前に放棄をする場合、被相続人から遺留分権利者へ半ば強制的に放棄を迫られるなどの不当な圧力が生じるおそれもあることから、

・それが本当にその相続人の真意でなされたものなのか

・遺留分を予め放棄することに合理性・必要性があるか

・遺留分を放棄することに対して遺留分権利者に代償が与えられているか(もしくは不当な不利益は無いか)

という観点から、裁判所が審理を行い、その結果遺留分の生前の放棄が許可される、というのが法律の建前となっています。

なお、これは、あくまでも、被相続人の「生前」に遺留分を放棄する場合にのみ必要な手続です。

被相続人の死後については、単に請求をせずに放置すれば時効により遺留分の権利は消滅します。

そして、ひとたび、裁判所より遺留分の放棄許可がなされた場合、これを後から「やっぱり止めた」と言って撤回することはできないというのが原則です。

そのため、生前の遺留分放棄許可の申立ては慎重に行うべきものです。

もっとも、例外的に遺留分放棄許可の取消(撤回)ができる場合があります。

例外的な場合とは、遺留分権利者が、生前に遺留分放棄許可申請をするに至った理由について、重大な齟齬なり事実誤認があり、そのような事情があれば、遺留分放棄をしなかったであろうというような事情が認められた場合です。

上記のような、例外的に遺留分放棄許可決定の取消が認められるかどうかが問題となった事例が、東京家裁平成2年2月13日審判の事例です。

この審判は、結論としては、遺留分放棄許可の取消は認めなかったものでありますが、どのような事情と理屈があれば、遺留分放棄許可決定の取消が認められるかという判断のSン国となります。審判文を読むのが一番わかりやすいので、以下引用します。

「 (1) 申立人(筆者注:遺留分権利者)の母ちよ子と被相続人は、同じ病院に勤務していたことから知り合い、被相続人が小児科医院を開業した後にはその医院の事務員として一時働いていた間柄で婚姻外の関係を有していたところ、昭和34年に申立人が生まれ、被相続人は直ちに認知した。

被相続人は妻岡本サト子との間には子がなかつたところ、昭和44年の11月ころ胃潰瘍の診断を受けたが癌を疑い、万一自己の死後妻と申立人らとの間に遺産の紛争が起きることを恐れ、申立人の母ちよ子との関係を清算するとともに、申立人からも遺産相続に関しての要求が妻に来ることがないようにこの際解決しておこうと考えた。

(2) そこで、被相続人は取引先の○○信託銀行の紹介でA弁護士に相談した結果、同弁護士の斡旋で、被相続人と申立人の母ちよ子との間で「被相続人が申立人に対し、同人の生計の資などとして現金300万円を贈与し、 申立人は遺留分を放棄する。申立人の母と被相続人は爾後一切関係ないものとする。」との合意が成立した。

現金300万円を授受することで解決することに決まるまでの経緯としてはおおよそ次のようなものであつた。昭和44年11月ころ、当初A弁護士から180万円を金銭信託にし、月額2万円を申立人の母が受領する案が提示されたが、その後申立人の母からは250万円ないし300万円程度でも家が買えるので家が欲しいとの話が出た。被相続人もその方向での解決を了承し、申立人の母が家を探したが、300万円では家を買うのに不足するとのことで、申立人の母からいつそ一時金で300万円支払つてもらい、貯金をしておいて申立人のため使いたいとの意向が示され、結局昭和45年2月被相続人から申立人に300万円を贈与し、さらに贈与までの間の申立人らの生活費及びアパートの更新料は被相続人が負担することなどで落着した。

(3) 被相続人は上記の依頼に際してA弁護士に対し、財産は、診療所兼住居の土地、建物と約450万円の預金くらいしかないと話した。A弁護士は、前記の経過のなかで、このことを申立人の母に伝え、300万円の線で考えてほしいと話している。

しかし、現実には被相続人は前記のように本件の話が進んでいる最中である昭和44年12月17日に、別紙物件目録4、5及び7の土地を売買により980万円で取得したが、このことはA弁護士にも話していない。他方、被相続人は同日○○信託銀行との間で700万円の金銭消費貸借契約を締結し、翌18日付けで別紙物件目録4、5の物件に右契約を原因とする抵当権設定登記がなされている。

(4) 申立人の母は、遺留分放棄についてはA弁護士から説明を受けて、その交渉をしたもので、同弁護士の取り計らいで遺留分放棄の申立書を東京家庭裁判所に提出したが、同弁護士が作成してくれた申立書の財産目録には、もちろん別紙物件目録4、5及び7の物件は記載されていない。東京家庭裁判所での審理は、昭和45年3月10日裁判官の審問が10分間程度あり、同裁判所は参与員の意見を聴いたうえ同日遺留分放棄を許可した。そこで、申立人の母は直ちにA弁護士から300万円を受領した。

(5) 被相続人は、本人が心配した病気は杞憂で終り、その後18年を経た昭和63年に死亡したが、遺留分放棄後間もなく全財産を妻に遺贈する旨の公正証書遺言を、更に昭和63年3月7日同趣旨の公正証書遺言をしている。相続開始時の遺産のうち、不動産としては別紙物件目録記載のものがある。

申立人とその母ちよ子は、前記遺留分放棄後は被相続人と全く接触を持たず、母ちよ子は申立人に遺留分放棄について説明していなかつたので、申立人は自己の相続について遺留分が放棄されていることは、被相続人が死亡して相続に関心を持つようになつて初めて知つた。

(6) 被相続人の遺産である本件土地付近の地価は、昭和45年当時から同63年までの間に少なくとも10倍を超える騰貴があり、相続開始時の価額は坪当たり200万円ないし300万円程度にはなつているとみられるので相続関始時の被相続人の財産の価額は申立人の主張するように2億円程度に達する可能性もある。一方、昭和45年に比しての相続開始時点の消費者物価指数は約2.8倍になつている。したがつて、300万円を相続開始時の物価指数により換算すると約840万円になる。

2 (1) そこで検討するに、本件申立ては非訟事件手続法19条により審判の取り消しを求めるものであるところ、同条による裁判の取り消しは、裁判がその当初から不当であつた場合のほか、その後の事情変更によつて不当となつた場合にも可能であると解される。しかし、審判後の事情変更による遺留分放棄許可審判の取り消しは、遺留分の事前放棄制度の趣旨に照らし、遺留分放棄の前提となつた事情が著しく変化し、その結果放棄を維持することが明らかに著しく不当になつた場合に限られるべきであると考える。

もつとも、本件は相続開始後に遺留分放棄許可審判の取り消しを求めるものであり、そもそも相続開始後に遺留分放棄許可審判の取り消しができるかについては可否見解が別れるところであるが、相続開始後であつても全く取り消しが許されないものではなく、ただ遺留分減殺請求権が発生しない状態で相続が開始しているのであるから、いたずらに相続関係を混乱させないため特に慎重な配慮が必要とされるものと解される。

(2) 本件においては、前記事情に照らせば、申立人の母は、当時としてそれ相当の金員を受領して遺留分を放棄しているものであつてそれなりに代償性があり、放棄の理由にも合理性、必要性があり、放棄許可審判が不当であつたとは認められない。

申立人は、遺留分放棄について、申立人の母において被相続人の財産についての要素の錯誤があつたと主張するが、被相続人が財産変動について正確に告げず、そのため申立人の母は、被相続人が昭和44年12月17日に購入した別紙物件目録4、5及び7の物件についてはその事実を知らなかつたが、前記事実によれば被相続人は売買により該物件を取得すると同時に抵当権を設定して銀行から借り入れた700万円と自己の預金で右物件を買い求めたと推測されるので、これらの物件を購入したことで被相続人が当時有していた財産の総額は、実質的には変わらなかつた(土地が増えたが、その分負債の増加と預金の減少とが同額であつた。)ものと考えられる。したがつて、申立人の母が別紙物件目録4、5及び7記載の土地取得の事実を知らなかつたとしても、その遺留分放棄に要素の錯誤があつたとは認められない

(3) また、申立人は地価高騰及び被相続人の財産のその後の増加により遺産の価額は2億円をくだらないものとなり、300万円の生前贈与は著しく低額になつた旨主張する。確かに地価の高騰は著しいものがあり、相続開始時の被相続人の遺産の総額は申立人の主張するように2億円程度になる可能性はあると考えられるが(ちなみに、仮にこれを前提とすれば、申立人の遺留分相当額は5000万円となるが、相続開始時における本件生前贈与の評価額も300万円ではなく、約840万円と見るべきものである)、本件においては遺留分放棄の前提になつた事情には、基本的には変化なく、事情の変更としては地価の高騰が主なものである。そして、遺留分放棄後財産が増減したり、価額が変動することは当然あり得ることであり、その後の地価の高騰というような社会一般の変動は、これを考慮しないことが著しく不当、不正義な結果をもたらすような特別な事由がない限り、直ちに取り消しの事由とはならないというべきである。まして、本件では相続が開始しているのであるからなおさらで、これを容易に認めることは、被相続人が生前贈与により、遺留分を放棄してもらい、自己亡きあとの紛争を回避しようとした趣旨を没却させるものである。そのほかにも、遺留分放棄の前提となつた事情が著しく変化し、その結果放棄を維持することが明らかに著しく不当になつたと認められる事情は見当たらない。

そうすると、本件遺留分放棄の許可審判はこれを取り消すべき事由がないといわざるをえない。よつて、本件申立ては理由がないから却下することとし、主文のとおり審判する。」


この記事は、2020年4月26日時点の情報に基づいて書かれています。

公開日:2020年04月26日 更新日:2020年04月26日 監修 弁護士 北村 亮典 プロフィール 慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。 現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。