遺言能力の判断にあたり、アルツハイマー型認知症か脳血管性型認知症かが争いとなった事例

「遺言能力」を欠いた状態で作成された遺言書は無効となります。

この「遺言能力」とは、単純にいえば、本人が遺言を書いた当時その内容をしっかり理解できるだけの知的判断能力があったかどうか、ということです。重度の認知症の老人の方が遺した遺言書では、この遺言能力が否定されることになります。

この遺言能力の有無は、

・遺言者の年齢

・当時の病状

・遺言してから死亡するまでの間隔

・遺言の内容の複雑さ(本人に理解できた内容であったか)

・遺言者と遺言によって贈与を受ける者との関係

等の要素を総合考慮して、判断されます。

上記の要素の中でも一番重要なのは、遺言を書いた時と近い時点での「精神疾患についての医師等による診断結果」です。

遺言が無効となる原因として多い精神障害は認知症ですが、認知症の原因は様々であり、その中でも遺言が無効とされているのは、アルツハイマー型認知症と診断されているケースが多いです。

したがって、遺言作成当時、アルツハイマー型認知症であったかどうか、またその症状の程度が重要な争点となります。

この点、遺言者について、アルツハイマー型認知症か、それとも血管性型認知症であったかが争われたケースが、名古屋高等裁判所平成14年12月11日判決です。

この判決は、アルツハイマー型認知症と血管性型認知症の鑑別と診断の基本的な考え方について以下のように一般論を詳細に述べていますので、参考となります。

「いわゆる痴呆とは,不可逆的な脳器質性の知能・認知障害であって,老人性痴呆(アルツハイマー型老年痴呆)と脳血管性痴呆,及びその混合型,その他特殊な病気に原因するものなどがあるが,本件で問題とされているアルツハイマー型痴呆と脳血管性痴呆の鑑別・診断に関しては,以下のとおり言うことができる。

ア 鑑別・診断についての基本的考え方について

アルツハイマー型痴呆は原因不明の大脳の変性疾患であって,高度の神経細胞の変性脱落が起こり,肉眼的には大脳皮質の萎縮,脳室の拡大を生じ,神経病理学的には,アルツハイマー神経原線維変化,老人斑,顆粒空胞変性などが著明に生じる。

脳血管性痴呆は,脳血管障害が原因となって痴呆が生じる疾患の総称であり,多発梗塞及び出血による病変が中心である。

混合型痴呆は,アルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆の2つの型が混合したものであるが,老化とともに脳の加齢変化が進み,脳動脈硬化等の症状も進展するから,高齢者の痴呆はこの混合型痴呆が多数を占めるとされている。

イ 痴呆がアルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆のいずれであるかによって,発症,経過,臨床症状,予後,治療などが異なっているため,いずれの痴呆であるかの鑑別は臨床上重要である。

この鑑別は,CT・MRI所見,脳波測定結果,動脈硬化検査等の諸検査,症状所見等を総合してなされるが,典型的なものについては,CT・MRI所見,脳波測定結果,臨床症状所見等において,次のような違いがみられる。

(ア) CT・MRI所見

アルツハイマー型痴呆では,大脳皮質のびまん性の広範な萎縮及び脳室拡大をみる。萎縮は側頭葉で強く,側脳室下角の拡大が目立つことが多い。この程度は病期の進行とともに高度となる。また,萎縮の程度にかなりの左右差が認められることも多い。

他方,脳血管性痴呆では,脳血管障害による多発性の低吸収領域,脳構開大や脳室拡大が認められる。

(イ) 脳波

アルツハイマー型痴呆では,脳波異常は比較的軽度であるが,脳血管性痴呆では,アルツハイマー型痴呆と比較すると,比較的軽症でも異常脳波の出現率が高く,中等症以上では殆どの例で脳波に異常がみられる。

(ウ) 臨床所見

a 発症年齢

アルツハイマー型痴呆は,脳の老化と密接に関連して出現するため,脳血管性痴呆に比しはるかに年齢が高く,70歳以降に出現するのが一般的である。他方,脳血管性痴呆は,脳血管障害があれば年齢を問わず出現する可能性があり,50歳代でも出現する。

b 性

アルツハイマー型痴呆は女性に出現する頻度が高く,他方,脳血管性痴呆は男性に出現する頻度が高い。

c 発症,進行状態

脳血管性痴呆は脳血管障害が原因で出現するため,その発症は一般的に急激であり,脳血管障害の進展に応じて段階的に悪化する。アルツハイマー型痴呆の発症は緩徐で,病状は加齢とともに進行する。

d 身体症状

脳血管性痴呆では,脳卒中,脳梗塞等の既往歴がみられることが多く,また脳以外でも眼底動脈の硬化所見,心電図変化,大動脈の硬化所見がみられることが多い。したがって高血圧症の者にこの痴呆が多くみられることとなる。アルツハイマー型痴呆においては,これらの身体的所見はより少ないのが一般である。

e 神経症状

脳血管性痴呆では,局所性脳症状を示すことがあるために,片麻痺,不全片麻痺,知覚障害等の局所神経症状もしくは神経症候,その他言語障害,失語を伴うことが多い。アルツハイマー型痴呆においては,局所性脳症状を示すことが少ないため,これらの症状を示すことは少ないが,けいれん,失行等の神経症候がみられることもある。

f 自覚症状

アルツハイマー型痴呆においては,自覚症状を訴えることは少ないが,脳血管性痴呆では,頭重,頭痛,めまいを訴えることがある。

g 人格の変化

脳血管性痴呆では,痴呆症状と比較して人格水準が保持されていることが多い。例えば,物忘れに対してとりつくろい,周囲の人が痴呆の進行するまで気づかないようなことがある。他方,アルツハイマー型痴呆においては,病前の人格・礼節が保たれることが多いが,病状の進行とともに人格水準の低下が明らかになり,感情が平板化し,上機嫌になったりし,しばしば何もせず一日茫然としていたり,表面的な愛想のよさ,とりつくろいがみられる。

h 病識

アルツハイマー型痴呆では病識が早期から消失するが,脳血管性痴呆では末期まで病識が保たれている場合が多い。

i 感情失禁

脳血管性痴呆では,感情のコントロールが崩れ些細なことで泣き出したりする感情失禁が多くみられるが,強制泣き,強制笑いが認められるときは脳血管性痴呆とほぼ断定しうる。アルツハイマー型痴呆では感情失禁は少ない。

j せん妄,幻覚,妄想,うつ状態等

これらの精神症候は,アルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆のいずれにも認められるが,夜間せん妄(夜間に著しい精神運動性興奮や幻覚妄想が生じること)は脳血管性痴呆に多く認められ,幻覚,妄想はアルツハイマー型痴呆に多く認められる。

k 徘徊

アルツハイマー型痴呆に多くみられる。

l 記憶障害,失見当識

アルツハイマー型痴呆に多くみられる。

m まだら痴呆

アルツハイマー型痴呆では知的機能が一様に低下するが,脳血管性痴呆では,記銘力・記憶力は障害が著しいが計算力は比較的保たれているといったように,機能の一部がある程度保たれていることがある。

ウ 上記鑑別・診断は教科書等に記載されている典型例によったものであって,臨床的には必ずしも上記のようにただちに判然と鑑別・診断できるわけではないけれども,総じて言えば,アルツハイマー型痴呆の特徴は,その進行が緩徐であることが多く,知的機能の低下が全面的で,その程度もより高度であること,また,対人接触は中等度以上で異常なことが多く,病前の性格に比しかなり人格の変化が認められるのに対し,脳血管性痴呆の特徴は,発症が比較的急であり,少なくとも初期のころには病識があるのが通常であり,知的機能の低下は末期を除けば一様ではなく,対人接触もかなりまともにできる場合があり,人格も末期まで比較的よく保たれること,また,高血圧や脳卒中の既往,頭痛,頭重,しびれ,運動障害,感覚障害,感情失禁(刺激に対して起こる情動をうまく調節できずに些細なことで泣いたり,笑ったり,怒ったりする状態)など,脳血管障害に直結した既往症や症状を訴えることがあるということができる。」

この判決は上記一般論を述べ、本件では、アルツハイマー型認知症と血管性型認知症の混合型であると認定した上で、

「記憶,判断,抽象的思考などの多面的な知的能力の喪失及び性格や行動の変化が顕著に見られ,その後,人物誤認,見当識障害,記憶障害,判断力・理解力の低下,健忘症等が窺われる言動が多く見られるようになった。その発症年齢が79歳と高く,経過がゆっくりと進行し,症状が固定的であって,病識がないことなどから,Aの痴呆は老人性痴呆(重篤ないし最高度)と診断でき,その後,死亡するまで痴呆状態が改善された時期があったとは到底考えられない。」

と述べて、遺言能力を欠き公正証書遺言を無効と判断しました。


この記事は2020年5月30日時点の情報に基づいて書かれています。