公正証書遺言であっても無効とされる場合とは?
遺言の内容が、遺留分など無視して、特定の相続人に財産の大半を与えるような「偏った」内容の遺言などの場合には、その内容に納得できない相続人からは
「お父さんが認知症の状態なのに、無理やり書かされたものだ!」「そんな遺言は無効になるはずだ!」
などという訴えがなされることが多いです。
このような紛争では、遺言を書いた当時にその本人に「遺言能力」があったかどうかを巡って激しい紛争となります。
この「遺言能力」とは、単純にいえば、その本人が遺言の内容をしっかり理解できるだけの知的判断能力があったかどうか、ということです。重度の認知症の老人の方が遺した遺言書では、この遺言能力が否定されることになります。
では、公証人が立ち会って作成する公正証書遺言の場合も、この遺言能力が無い、として遺言の無効を争うことは出来るのでしょうか。
公正証書遺言の場合、公証人が遺言作成の際に遺言者と面談しますが、そこで明らかに遺言者が認知症でまともに受け答えできないような場合には、公証人は「遺言能力なし」として遺言の作成を拒否したり、医師の診断書を求めることも多いようです。
そのため、公正証書遺言の無効を裁判で訴えても「一応公証人によって選別がされているから」ということで、遺言者の遺言能力は問題ないと判断される傾向が強いのが事実です。
しかし、他方で、遺言書の文案の作成は遺言者本人ではなく家族や専門家を通して行い、公証人と遺言者が会うのは作成の時の一回だけ、それも場合によっては10〜20分程度の短時間のやりとりで遺言書が作成されるということが多々あることもまた事実です。
公証人と言えども精神医学の専門家というわけではありませんから、遺言作成の場の遺言者との短時間の受け答えだけで認知症かどうか判別がつかず、そのまま遺言が作成されるという状況も生じ得るのです。
そのため「公正証書遺言」であっても、遺言能力がなかった、として無効とする裁判例も多く存在しています。
でば、どのような場合に、「公正証書遺言」が無効とされているのでしょうか。
遺言能力の判断に当たっては
・遺言者の年齢
・当時の病状
・遺言してから死亡するまでの間隔
・遺言の内容の複雑さ(本人に理解できた内容であったか)
・遺言者と遺言によって贈与を受ける者との関係
という要素が考慮されます。
上記の要素の中でも一番重要なのは、遺言を書いた時と近い時点での「医師等による診断結果」です。
例えば、公正証書遺言が無効とされたケースとして、東京地方裁判所平成11年9月16日の事例があります。
この事例は、知的能力が低下し、便所と廊下を間違えて廊下を汚してしまうような状態だった75歳の男性が、「高度の脱水症状、腰椎骨折、パーキンソン病」と診断されて入院し、入院後間もなくその妻と、懇意にしていた税理士が主導して公正証書遺言を作成したというケースです。
このケースは病院まで公証人が赴いて遺言を作成したケースなのですが、遺言内容を公証人が読み聞かせた際に、遺言者はこれに対して自らは具体的な遺言内容については一言も言葉を発することなく「ハー」とか「ハイ」とかいう単なる返事の言葉を発していただけでした。
そのため、公証人が担当医師に病状を訊ね、遺言能力がある旨の診断書を交付してほしいと求めたものの、医師は、
「遺言者は通常の生活における一応の理解力、判断力はあるが、遺言能力ありとの診断書は書けない。」
として断りました。
公証人は、遺言能力の有無の判断が難しいケースと感じたものの、それでもなお遺言者とのやりとりから遺言能力があると考えて、遺言作成に至りました。
なお、遺言を書いた約3週間後には、その男性は「パーキンソン病により痴呆が進行し、中枢性失語症による言語機能の喪失、精神状態については障害が高度で常に監視介助または個室隔離が必要」という症状が固定しています。
この事例では、裁判所は、上記の事情を総合的に考慮して、遺言者には「遺言能力がなかった」として公正証書遺言の効力を否定しています。
また、特にその妻や税理士が主導していて、当の本人は遺言を書く意思を周囲に示していなかった、ということも遺言能力を否定した理由としています。
以上を踏まえると、認知症の状態で遺言が作成された、と遺言の無効を主張する場合には、遺言の作成の前と後の医療記録・看護記録の収集が重要になります。
遺言の無効が裁判で争われる時というのは、当然ながらその遺言を書いたご本人はもうこの世にはいません。そのため、遺言を書いた当時のご本人の認知症の状態というのは、医療記録や介護記録等の病院・施設の記録にしか残っていないことがほとんどです。
この残された医療記録と介護記録を分析して、その当時に本人がその遺言の内容を本当に理解して書くことが出来たのかどうか、カルテの記載などから事実を一つ一つ丁寧に拾い上げて、推理小説のように仮説を立てて、訴えていくことになります。
冒頭で述べたように、裁判所は、公正証書遺言の場合には公証人の関与により遺言能力の有無の一応の選別はされているだろうと考えていますし、また、基本的には、故人の遺志を尊重するために可能な限り遺言は有効であると判断する傾向があります。そのため、「遺言能力がない」という立証のハードルはとても高いのが事実です。
他方で、我々弁護士の目から見ても、その当時の状況等(特に親を匿われて会わせてもらえない状態で遺言書が書かれていた場合など)から、本当に故人の遺志で書かれた遺言なのかとても疑わしいと思わざるをえない遺言書の存在も多く目にしています。
このような遺言が本当に故人の遺志に基づくものなのか、真実を明らかにするために、また真実を明らかにすることが遺言者ご本人と家族にとっても大切なことであると信じて、困難な遺言無効訴訟の手助けをしたいという思いで活動しています。
2017年3月14日更新
公開日:2015年11月22日
更新日:2019年10月22日
監修
弁護士 北村 亮典 プロフィール
慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。
現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。