【設例】
妻も子供はおらず、相続人は兄弟姉妹のみ、という方が亡くなりました。
この方は、生前に遺言書を作成していたところ、その内容は、自分の死後に全財産を処分してその金銭を、かねてから信仰していた宗教団体にすべて寄付するというものでした。
遺言執行者には、被相続人の知人(宗教団体の信者)が指定されていました。
被相続人の死後、遺言執行者は遺言に従って財産を処分しましたが、相続人たち(兄弟姉妹)には何も伝えず、また財産目録の交付などは一切行いませんでした。なぜなら、相続人は兄弟姉妹であり、遺留分を有していなかったから、特に伝えなくとも問題ないと考えたからでした。
このような場合に遺言執行者は責任を負うことがあるでしょうか。
【答え】
遺言執行者に選任された者は、
・相続財産の目録を作成して、相続人に交付すること(民法1011条)
・相続人から要求があったときは、遺言執行の状況を報告すること(民法1012条)
という法律上の義務を負っています。
もっとも、設例のようなケースですと、兄弟姉妹の相続人には遺留分がありませんので、被相続人の遺産を一切取得することができません。
そうだとすると、相続財産の目録の交付を受けたり遺言執行に関する報告を受けることに対する実益は無いようにも思われます。
そこで問題となるのは
「遺留分の権利もない相続人に対しても、遺言執行者は報告義務を負うか」
という点です。
設例のケースは、東京地方裁判所平成19年12月3日判決の事例をモチーフにしたものですが、この事例では、相続人(兄弟姉妹)は、遺言執行者に対して、遺言執行の詳細を明らかにせず、相続財産目録も交付しなかったことなどを違法として、相続人が支出した調査費用実費のほか精神的苦痛に対する慰謝料等を請求するとともに,相続財産目録その他の関係書面の写しの交付を請求しました。
この事案で、裁判所は、まず遺言執行者の負うべき説明・報告義務として
「まず,現行民法によれば,遺言執行者は,遺言者の相続人の代理人とされており(民法1015条),遅滞なく相続財産の目録を作成して相続人に交付しなければならないとされている(民法1011条1項)ほか,善管注意義務に基づき遺言執行の状況及び結果について報告しなければならないとされている(民法1012条2項,同法645条)のであって,このことは,相続人が遺留分を有するか否かによって特に区別が設けられているわけではないから,遺言執行者の相続人に対するこれらの義務は,相続人が遺留分を有する者であるか否か,遺贈が個別の財産を贈与するものであるか,全財産を包括的に遺贈するものであるか否かにかかわらず,等しく適用されるものと解するのが相当である。」
「したがって,遺言執行者は,遺留分が認められていない相続人に対しても,遅滞なく被相続人に関する相続財産の目録を作成してこれを交付するとともに,遺言執行者としての善管注意義務に基づき,遺言執行の状況について適宜説明や報告をすべき義務を負うというべきである。」
と述べ、遺留分を有しない相続人に対しても説明・報告義務があるという原則を述べました。
もっとも、常に上記原則に拠るべきとまで断定するわけではなく、
「遺言執行者から,遺贈をした遺言者の遺志が適正に行われることにつき重大な関心を有する相続人に対して,遺言執行に関する情報が適切に開示されることは,遺言執行者の恣意的判断を排除して遺言執行の適正を確保する上で有益なものということができる反面,遺留分を有しない相続人による遺言執行行為への過度の介入を招き,かえって適正な遺言の執行を妨げる結果になることも懸念されるところであるから,個々の遺言執行行為に先立って常に相続人に対して説明しなければならないとすることは相当ではない。」
との理由から
「遺言執行者から相続人に対してなされるべき説明や報告の内容や時期は,適正かつ迅速な遺言執行を実現するために必要であるか否か,その遺言執行行為によって相続人に何らかの不利益が生じる可能性があるか否かなど諸般の事情を総合的に勘案して,個別具体的に判断されるべきものである。」
と述べ、説明・報告義務の内容については、個別事情を考慮した上で判断されるべきとの限定も付しています。
また、遺言執行者が就任したことや、遺産を処分する際に事前に相続人に通知すべきか否か、という点については、
「遺言執行者は,相続人が何らかの事情によって被相続人が遺贈をしていることを知っていることを把握している場合や,相続財産が動産や現金等だけで不動産を含まず,即時取得(民法192条)の規定などによって第三者も保護されるような場合でない限り,相続人が不測の損害や不利益を被ることがないよう,前述の遺言執行者としての善管注意義務(民法1012条2項,同法645条)の一内容として,相続人に対し,遅滞なく遺言執行者に就任したことを通知するか,又は,相続財産に属する不動産の換価処分に先立って当該不動産を遺言により換価処分する旨を通知しなければならないというべきである。」
と述べ、遺言執行者の通知義務を認めています。
以上を踏まえて、本件事案については、遺言執行者はこれらの義務に違反したとして、相続人から遺言執行者への損害賠償責任が認められました。
なお、損害額は
・弁護士費用(訴訟まで提訴したことについての費用含む)として40万円
・調査費用として5万円
・慰謝料として相続人一人あたり10万円
と認定しています。
慰謝料については、義務違反があったからと言って当然に認められたというわけではなく、この事案に特有の事情(末尾参照)を認定して認めていますので、この点はケースバイケースの判断になるものと考えられます。
遺言執行者は、弁護士などの専門家が選任されている場合もあれば、子供や配偶者など、被相続人の身近な親族が選任されていることもあります。
この判例が認定しているように、遺言執行者には、その職務上様々な法的義務が課されており、それは遺言執行者が専門家か否かによって異なるわけではありませんので、この点に留意して遺言執行行為を行うべきということとなります。
【参考:東京地方裁判所平成19年12月3日判決(慰謝料部分の判示)】
「オ そして,原告らは,これらの財産的な損害のほか,前記認定のとおり,原告らの知らないうちに平成18年3月14日付けで本件土地・建物につき原告ら名義の相続登記がなされていたことや,粕谷弁護士に依頼して被告らに経緯を尋ねたにもかかわらず遺言執行の詳細について明らかにしてもらうことができず,そうこうしているうちに,同年6月9日には練馬都税事務所から「X1様方B様」として原告X1宛に固定資産税等の納税通知書が送付されてきたことなどから,誰かが原告らの実印や印鑑証明書などを盗用したり偽造したのではないかとか,関係のない税負担だけを強いられることになるのではないかなど,精神的な損害を被ったこと,しかも,そのような混乱の原因には被告らの当時の代理人による形式的な対応が背景となっていることも否定できない事実である。したがって,そのような本件に顕れた諸般の事情を総合的に勘案すれば,原告ら各人が受けた精神的な損害に対する慰謝料としては,原告1人当たり10万円をもって相当とする。」
この記事は2020年4月5日時点の情報に基づいて書かれています。
この記事の監修者
北村 亮典東京弁護士会所属
慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。 現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。