「公正証書遺言」であっても、遺言能力がなかった、として無効とする裁判例も多く存在しています。
でば、どのような場合に、「公正証書遺言」が無効とされているのでしょうか。
遺言能力の判断に当たっては
・遺言者の年齢
・当時の病状
・遺言してから死亡するまでの間隔
・遺言の内容の複雑さ(本人に理解できた内容であったか)
・遺言者と遺言によって贈与を受ける者との関係
という要素が考慮されます。
上記の要素の中でも一番重要なのは、「当時の病状」、すなわち遺言を書いた時と近い時点での「医師等による認知能力に関する診断結果」です。
問題となる遺言の動機や経緯に不自然な点があったとしても、遺言者の当時の判断能力、認知能力に特に問題がなかった場合には、遺言者がその遺言の内容を理解し、納得して作成したであろう、ということが推定され、遺言が有効と判断される可能性が高くなります。
そのため、遺言無効訴訟にあたっては、遺言者の遺言作成当時の認知能力等に関する証拠の検討が極めて重視される傾向があります。
このような傾向に対し、遺言作成の動機や経緯の不自然さを重視して公正証書遺言を無効と判断したのが東京地裁平成28年3月4日判決の事例です。
この事例は、当時94歳だった遺言者が、数年前に遺言を作成していたものの、死亡の1月前に、従前の遺言を撤回し全く異なる内容の公正証書遺言を新たに作成したという事例です。
この事例で、裁判所は、遺言者の家族関係や従前の関わり、遺言の作成に至る経緯などを詳細に認定した上で、
「従前の遺言において遺言者が明確に示してきた意向とは根本的に異なる内容となっており,遺言者がそのような翻意をしたことにつき合理的な理由は見当たらない。」
と認定しました。
これに加えて、当時の遺言者の病状として
・本件遺言証書が作成された当時には,94歳という高齢であること
・遺言作成の直前の状況として、知力及び体力の衰えが顕著で,意味不明の言動をしたり,せん妄とみられる状態に陥ったりすることもあったところ,子の急逝により大きな精神的打撃を受けて,さらに心身が衰弱した状態にあったこと
・本件遺言証書の作成から12日後に入院した直後は,せん妄状態が継続し,それが治まった後も,簡単な意思の表明すら口頭でも筆談でも行うことができない状態に陥っていたこと
を併せ考慮して、
「本件遺言証書が作成された当時,自らの行為の意味と結果を認識し,自らの意思によっていかなる行為をすべきであるかを判断できる精神状態になかったものと認められる。」
と判断し、公正証書遺言を無効と判断しました。
この裁判例から読み取れることは、従前に遺言書が作成されていて、それが後に撤回され内容が大きく異なる遺言書が新たに作成された場合には、その撤回の動機の有無や、撤回された遺言書が作成された経緯が重視される、ということと考えられます。
このように、この裁判例は、どちらかといえば遺言作成の動機や経緯に重点を置いた判断であると考えられますが、そうは言っても、やはり、動機や経緯が不自然というだけでは足りず、遺言作成当時の認知能力に問題があることを示すような最低限の事情なり証拠は必要であるということにも留意は必要です。
【東京地裁平成28年3月4日判決の判旨】
2 前記認定事実によれば,Bは,Cの生前,Cと関わりの深いaビルのみならず,当面はFが代表取締役を務めていたb社の経営についても,いずれはその長男であるCに,さらにはその長男である原告X2に代々引き継がれていくことを強く望んでおり,Cの急逝後も,原告X2にこれらを承継させることを望む気持ちに変わりはなかったものと認められる。また,Bは,Cを跡継ぎに据えることを望みつつも,相続させる遺産の価額の面では,できるだけ相続人間の平等を保つよう配慮していたことは,前記認定のとおりである。そして,前記認定事実によれば,Bは,生活面ではIを頼りにするところが大きかったと認められ,死亡直前の入院中にも,Iに対してことさら拒絶的な対応を示していたとは認められず,Cの死後,本件遺言証書が作成されるまでの間に,Bに自己の財産を原告らに相続させる意思を失わせるような決定的な出来事があったとはうかがわれない。
ところが,本件遺言は,BがB家に代々承継されることにこだわっていた資産を全てY家に嫁いだ被告に相続させるというものである点でも,相続人間の平等に配慮せず,Cの子らである原告らには遺留分の限度での分配にとどめるものである点でも,従前の遺言においてBが明確に示してきた意向とは根本的に異なる内容となっており,Bがそのような翻意をしたことにつき合理的な理由は見当たらない。
一方,前記認定事実によれば,本件遺言証書の作成に係る手続は,b社の役員からCの妻子である原告X2及びIを排除してその後任にB及びFと被告の子であるKを就かせることを目的とした臨時株主総会の招集手続と併せて,被告及びFの関与の下に進められており,本件遺言証書が作成される前日には,被告がB宅の玄関の鍵を交換して,BとIとの接触を断とうとしていたことが認められる。
これらの事情に鑑みると,本件遺言の内容及び作成経緯は,Bが自らの真摯な意思に基づき本件遺言をしたものとみるには不自然であるといわざるを得ない。
上記の事実に加えて,Bは,本件遺言証書が作成された当時には,94歳という高齢であり,前記認定のとおり,平成25年の夏頃には知力及び体力の衰えが顕著で,意味不明の言動をしたり,せん妄とみられる状態に陥ったりすることもあったところ,Cの急逝により大きな精神的打撃を受けて,さらに心身が衰弱した状態にあり,本件遺言証書の作成から12日後に入院した直後は,せん妄状態が継続し,それが治まった後も,簡単な意思の表明すら口頭でも筆談でも行うことができない状態に陥っていたことを併せ考慮すると,Bは,本件遺言証書が作成された当時,自らの行為の意味と結果を認識し,自らの意思によっていかなる行為をすべきであるかを判断できる精神状態になかったものと認められる。
以上によれば,Bは,本件遺言証書が作成された当時,遺言能力を欠いており,本件遺言は無効というべきである。
2018年5月28日更新
この記事の監修者
北村 亮典東京弁護士会所属
慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。 現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。