公正証書遺言が有効となるためには、以下の方式に従って作成されることが求められます。
1 証人2人以上の立会いがあること
2 遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること
3 公証人が遺言者の口述を筆記し、これを遺言者及び証人に読み聞かせ、又は閲覧させること
4 遺言者及び証人が、筆記の正確なことを承認した後、各自これに署名し、印を押すこと。但し、遺言者が署名することができない場合は、公証人がその事由を付記して、署名に代えることができる。
5 公証人が、その証書は前4号に掲げる方式に従って作ったものである旨を付記して、これに署名し、印を押すこと。
上記の方式について、一つでも欠いた場合には、「方式違背」として公正証書遺言は無効とされます。
公証人は法律の専門家ですので、公正証書遺言を作成する際に、上記の方式を欠くということは通常は起こりません。
もっとも、遺言者が公正証書遺言作成当時に重度の認知症であった、などという理由で遺言の無効が争われる場合、上記方式のうち、
2の「遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること」
の点を巡って争いになることがとても多いです。
この口授というものは、厳密に言えば、遺言作成当日に、遺言者が公証人に遺言の内容を口頭で伝え・・・ということになるのですが、実務上は,公証人が予め遺言者(やその家族)と打ち合わせをして遺言の文案を作成し,遺言作成当日に、公証人が遺言者にその書面を読み聞かせ、これに遺言者が「はい」などと発語して応答すれば、判例もこれをもって口授があったものとしています。他方で、判例は,公証人の質問に対して本人が言語を発さず単に首肯したにすぎないときは,口授があったとはいえないとしています。
そのため、例えば、遺言作成当時に、本人が重度の認知症であった場合、本人の家族が代理と称して公証人と打ち合わせをして遺言の文案を作成し、公正証書遺言作成当日、公証人が本人の前でこの文案を読み上げて、本人がこれに「はい」と声を発して応答すれば、見かけ上は「口授」があったと判断されることになるのです。
このような場合に、本人が本当に遺言の意味を理解して、公証人からの問いかけに反応していたのか、という点が問題となるわけで、本人が公証人からの問いかけに見かけ上「はい」と応答していたとしても、それは法律上の「口授」には該当しない(したがって方式違背だ)という主張がなされて、この点を巡って激しい争いとなるのです。
このように、「口授」の有無が争われる事例においては、裁判所は概ね以下の要素を重視して、その有無を判断しています(判例タイムズ1411号92頁)。
①遺言者が筆記書面作成過程に関与していることが証拠上明らかになっていること
②遺言者の判断能力が遺言時に著しく低下していないこと(遺言の内容が,遺言時の遺言者にとって当否の判断が困難なほど複雑なものとなっていないかが検討される。)
③遺言者が公証人に対して単に筆記書面の記載内容を肯定する旨を述べるのではなく,自分なりの表現でその骨子を述べたり,筆記書面を修正・補充する具体的指示をしていること
これらの要素を考慮した上で、「口授」の要件を欠き、公正証書遺言を無効と判断したのが大阪高等裁判所平成26年11月28日判決の事例です。
この事例は若干特殊で、遺言者が、平成13年、17年、18年、20年と4度に渡って公正証書遺言の作成を繰り返していたという事例で(なお、判決文から伺われる事情として、本人はかなりの資産家のようでした)、一部の相続人より、上記4つの遺言全てについて無効であると主張され、遺言の無効が裁判で争われた事例でした。
この事例で、裁判所は、遺言者の遺言作成当時の認知症等の状態、遺言作成までの公証人とのやりとりの経緯、遺言作成当日の公証人と遺言者との具体的やり取りの状況を踏まえた結果、「口授」の要件を欠くものとして、平成17年以降に作成された公正証書遺言を無効と判断しました。
裁判所が口授の要件を欠くと判断した判示部分を以下ピックアップして引用しますと、以下の通りです(下線は筆者)
公証人は,平成17年遺言に係る公正証書を作成するに当たって,事前には,H事務員を通じて被控訴人Y1から示された遺言の案が,遺言者の意思に合致しているのかを直接確認したことはなく,公認会計士及びH事務員も同様である。そして,遺言当日も,公証人が,あらかじめ作成していた遺言公正証書の案を,病室で横になっていた遺言者の顔前にかざすようにして見せながら,項目ごとにその要旨を説明し,それでよいかどうかの確認を求めたのに対し,遺言者は,うなずいたり,「はい」と返事をしたのみで,遺言の内容に関することは一言も発していない。
ところで,平成17年遺言は,評価額合計が数億円(弁論の全趣旨)にも及ぶ多額かつ多数,多様な遺言者の保有資産を推定相続人全員に分けて相続させることを主な内容とする上,これを遺言者の意図どおりに実現するためには,自らの保有資産の種類や数,評価額の概略を把握している必要があるほか,従前被控訴人らやDが受けた生前贈与などの遺留分に関わる事情をも把握する必要があるなど,相応の記憶喚起及び計算能力を必要とする。
ところが,平成17年遺言当時の遺言者は,多発性脳梗塞等の既往症があり,認知症と診断されたこともあり,記憶力や特に計算能力の低下が目立ち始めていたのである。そして,病気入院中でベッドに横になっていた遺言者が,顔の前にかざされた遺言公正証書の案をどの程度読むことができたのかも定かではない。そうすると,公証人の説明に対して「はい」と返事をしたとしても,それが遺言の内容を理解し,そのとおりの遺言をする趣旨の発言であるかどうかは疑問の残るところであり(あらかじめ遺言者の意思を確認していない公証人,E公認会計士及びH事務員にとっても,公証人が遺言公正証書の案に記載していた内容のとおりの遺言をする趣旨で「はい」と返事をしたのかどうかは本来は明らかではなかったはずである。),この程度の発言でもって,遺言者の真意の確保のために必要とされる「口授」があったということはできない。
2018年6月1日更新
この記事の監修者
北村 亮典東京弁護士会所属
慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。 現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。