【借主からの質問】
当社は、焼き菓子店舗を開くための物件を探していました。
渋谷に良い物件を見つけたので、ビルオーナーの仲介会社と賃貸借契約締結に向けて交渉を開始しました。
交渉の結果、ファサードデザイン(建物正面のデザイン)以外の賃料(月130万円)や敷金などの条件は概ね合意できたとのことで、ビルオーナーから賃料等の条件が記載された貸渡承諾書をもらいました。
その後、ファサードデザインについて協議を続けていたのですが、あるところで、ビルオーナー側から「この物件を月189万円で借りたいという人が他に出てきたので賃料を上げもらえないか」と言ってきました。
こちらは話が違うと断ったのですが、その後ビルオーナー側からは、「迷惑料として189万円を支払うからこの話はなかったことにしてほしい」と言われました。
当社としては、話を翻すようなビルオーナーは信用できないので、この物件は諦め、他を探すことにしました。
しかし、当社としては、契約成立の直前まで交渉が煮詰まっていたので、出店の準備で開業準備費用や人件費など支出していますので、これをビルオーナー側に請求したいのですが、可能でしょうか。
【説明】
本件は、東京地方裁判所平成26年9月16日判決をモチーフにした事例です。
この事案のように、契約締結までには至らなかったものの、契約成立直前まで話が煮詰まっていて、双方が契約締結後を見据えて準備を進めていたような場合、交渉を一方的に破棄した側が何らかの責任を負うべきではないかという争点があります。
この問題を法的には「契約締結上の過失」と言います。
交渉を破棄した側に「契約締結上の過失」が認められれば、不法行為として損害賠償責任を負うということになります。
交渉がどの程度まで進んでいれば、交渉を一方的に破棄したことについて「契約締結上の過失」が認められるかどうかは、「相手方に対し契約の成立が確実なものと期待するに至った状況」かどうかが一つの判断基準になります。
本件の事例では、裁判所は、以下のように述べて、ビルオーナー側の契約締結上の過失を認めています。
「本件物件の賃貸借について,原告と被告との間では,熱心に交渉が進められ,賃料額については合意に達した中,同月24日,被告は,原告に対し,ファサードデザインについては留保しているものの,それ以外の賃貸借の主要な条件について,具体的に記載し,その条件の下で本件物件を賃貸することを承諾する旨記載された本件貸渡承諾書を交付して」いる。
「本件貸渡承諾書の交付は,客観的に見ると,原告に,ファサードデザインについて譲歩すれば,本件物件について,賃貸借契約が成立するとの強い信頼(以下「本件信頼」という。)を発生させるものであり,被告は,信義則上,原告の本件信頼を保護する義務があるというべきである。」
「原告と被告との間で賃貸借契約が締結されなかった原因は,・・・被告が,原告に対し,突然,賃料を月額189万円に大幅に値上げをし,契約期間等も10年の定期建物賃貸借にするとの重大な条件変更の申入れをした上,原告がこの申入れを拒絶すると,原告に対し,本件物件を賃貸する義務はないと主張したことにあるというべきであり,本件物件について,原告と被告との間で賃貸借契約が成立しなかったことについて,被告に正当理由があるとは認められない。」
「したがって,被告は,正当な理由なく,原告の本件信頼を裏切っており,被告には,契約締結上の過失による不法行為が成立する。」
このように、本件では、ビルオーナー側に不法行為が成立するとされました。
そうなると、借主予定者側として、どの程度までの損害賠償が可能なのか、という点が次に問題となります。
この点については、裁判所は、
「契約締結上の過失による不法行為の場合に,損害賠償が認められる損害は,原則として契約の成立を信頼して支出した費用に限られるべきである」
と述べています。
したがいまして、いわゆる履行利益(契約が成立していれば得られたであろう利益)までは認められませんので、逸失利益(契約が成立していれば、その店舗で得られていたであろう収益等)までは認められないという考え方になります。
以上を前提として、裁判所は本件については
・交渉開始から交渉が破棄された間までの、本件物件での店舗開店に関する業務に従事していた者の人件費
・出店関係費(出店コンサルティング会社への費用の一部)
・本件物件で出店する直営の焼き菓子専門店舗で販売する焼き菓子を試作製造するための原材料の購入費用
が損害として認められています(合計金額143万1258円)
本件は、賃貸人が、賃料等の条件を記載した貸渡承諾書を交付していたことが、契約締結上の過失を認めた大きな要素になったものと思われます。
賃貸や売買の契約締結交渉において、「相手方に対し契約の成立が確実なものと期待するに至った状況」かどうかというのはかなりケースバイケースの判断になるところですが、契約書ではなかったとしても契約条件などを記載した書類が存在することは大きなポイントとなるでしょう。
したがいまして、こういった書類がある状況で契約交渉を途中で破棄することについてはリスクが有ることに留意しておく必要があるでしょう。
この記事は2021年7月18日時点の情報に基づいて書かれています。
この記事の監修者
北村 亮典東京弁護士会所属
慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。 現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。