Q 夫が先日亡くなりましたが、夫が亡くなる約半年前に、
【夫の全財産を夫の妹に相続させる】
という内容の公正証書遺言が作成されていたことが判明しました。
夫と私の間には子どもがおらず、そのため、夫は元気な頃に、私に財産を相続させるという内容の自筆の遺言を作成してくれていたにも拘らずです。
夫は、公正証書遺言を作成した当時、重度のうつ病、認知症であり、高熱を出して不穏行動を繰り返し、重篤な肺炎に罹患している状態でした。当時私も癌で入院しており、夫の妹に夫の世話を任せていたところ、このような遺言書が作成されてしまっていたのです。このような状態で、作成された遺言でも有効なのでしょうか。
A 遺言書が作成された当時、遺言者が、その遺言の意味,内容を理解し,遺言の効果を判断するに足りる能力、すなわち「遺言能力」を有していなければ、後にその遺言は、たとえ公正証書遺言であっても無効となります。
本件のケースは、東京高等裁判所平成25年3月6日判決のケースをモチーフにしたものですが、このケースでは、遺言書を作成した当時の遺言者の病状や行動を、カルテ等の資料からかなり詳細に認定した上で、
遺言能力がなかった
として公正証書遺言を無効としました。
この高裁判決で特徴的な判断部分を取り上げますと、同判決は、まず
「有効な遺言をするには、遺言者に遺言能力、すなわち遺言事項を具体的に決定し、その法律効果を弁識するのに必要な判断能力たる意思能力がなければならない。」
とした上で、
医師が「clear(清明)と記載したのは、いわゆる判断力についてではなく見当識は保たれているとの意味である旨回答しているのであり、見当識は意思能力より低い認識能力であることは明らかであるから、この診断書の記載から、本件遺言当時、遺言者に遺言能力があったと認めることは相当とはいえない。」
と判断しました。
認知証の程度については、
「本件遺言書が作成された同年三月二日の遺言者の精神状態を含む症状は認知症とみるほかないと解される。」
「問題はその認識能力のレベルであるが、この点については、二月一九日と二〇日には大声独語、幻視幻聴、妄想、ベッドよりの滑落、体動、言語活発などとかなり問題がある行動があり、同月二八日には精神科のI医師による情動不安定、易怒性、常同保続の所見から種々の薬剤が処方され、三月一日にもリスパダールが処方されていたのであるから、三月二日に不穏行動がなかったとしても、うつ病及び認知症という病気の影響や複数の薬剤による影響により、遺言者は、判断能力が減弱した状態にあり、遺言事項を具体的に決定し、その法律効果を弁識するのに必要な正常な判断能力、すなわち意思能力を備えていたと認めるのは困難である。」
と判断しました。
さらに、遺言者が当時要介護1という状態であったこと、及び遺言能力を肯定する内容の精神鑑定書については
「そもそも、介護認定は、介護支援を目的にするものにすぎず、医療機関による治療を目的とした医療行為の内容を否定する根拠とはなり得ない。」
「遺言者の精神鑑定書は、鑑定人が、遺言者を自ら診察した上で行われたものではなく、訴訟の一方当事者である受遺者の依頼に基づき作成されたものであるから、その結論に一定の影響が生じることが否定できないことからすると、上記二に判断した実際に看護及び治療に携わった医療機関の診察内容や判断を否定する根拠にはなり得ない。したがって、上記鑑定書の結論を採用することはできない。」
として、いずれも遺言能力無し、という結論には影響しない旨述べています。
なお、この裁判例は
「以上によれば、遺言者は、本件遺言書が作成された直近の時期及び三月二日に意思能力があったとは認められないから、特段の事情のない限り、本件遺言作成時においても意思能力がなく、したがって、遺言能力がないと推認される。」
と述べて、意思能力がない状況であっても例外的に「特段の事情」があれば、なお遺言が有効になる余地があると指摘しています。
この「特段の事情」とは、遺言が作成された経緯等の事情であると推測されます。
この点については、同判決は、まず
「本件遺言書作成当時、遺言者は、うつ病と認知症に罹患しており、平成一九年二月一九日と二〇日には大声独語、幻視幻聴、妄想、ベッドよりの滑落、体動、言語活発などの問題がある行動があり、同月二八日には精神科のI医師による情動不安定、易怒性、常同保続の所見から種々の薬剤が処方されていた状態であり、同年三月一日の時点においてもリスパダールを処方され、夜間時々覚醒していて不眠を訴えており、遺言者は、判断能力が減弱した状態にあり、意思能力を備えていたと認めることが困難である。」
と意思能力が無いことを認定した上で、
「この認定・判断を左右するに足りる特段の事情があるかをみると、②上記(2)エに説示したとおり、本件においては、遺言者のセンペルへの転院が本人の希望に反して受遺者の一存で行われ、受遺者が遺言者に無断で遺言者の住所を受遺者の自宅住所に変更し、無断で印鑑登録まで行い、遺言者が新たに遺言をしたいとの話を聞いてはいないのに、受遺者が遺言者から全財産の相続を受ける内容の遺言を作成する手続を行っている上、A公証人の本件遺言書等の作成手続には本人(自宅住所)確認の不十分、受遺者を排除していない、署名の可否を試みていない、遺言者の視力障害に気づいていない、任意的後見契約を遺言者が理解できたかなどの諸点に疑問があることは、むしろ上記①の認定・判断に整合するものである。」
「さらに、③遺言者は、自分の全財産を妻であるCに相続させるとの自筆による旧遺言書を作成しているところ、平成一九年三月二日当時、Cの病名やその進行程度について正しく認識しておらず、Cが生存中であるにもかかわらず、全財産を受遺者に相続させる旨の遺言を作成する合理的理由が見あたらない(受遺者の主張は、その前提を欠く。)。このことは、本件における重要な間接事実であり、仮に、遺言者との間にA公証人の回答にあるような遺言者の発言があったとしても、突然に現れたA公証人の来訪目的や遺言等の作成の意味を十分に理解し、真に本件遺言等を作成する意思の下に遺言者が応答したものと認めることは困難であるというほかない。」
として、遺言を無効と判断しました。
このケースにおいては、医療記録において、かなり詳細に遺言者の当時の状況が記録されていたこと、及び、妻の存命中にもかかわらず、夫が全財産を妹に相続させるという遺言内容の不合理性が、遺言無効の認定に大きく左右したものと思われます。
なお、このケースは、地裁判決では遺言は有効である、と判断されていたものの、東京高裁がこれを覆して無効と判断したものです。
認定されている事実は、地裁判決と高裁判決で大きく異なっているようではなく、事実の「評価」が地裁と高裁では真逆になったと言えます。
公正証書遺言の無効確認というものが、当事者にとっても裁判官にとっても、その判断において非常に困難を伴うものであるということ示した一例です。
2016年2月9日更新
この記事の監修者
北村 亮典東京弁護士会所属
慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。 現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。