
築約45年のビルの耐震性不足を理由とする解約申入れにつき、士業事務所であることを考慮し立退料500万円で正当事由が認められた事例
賃貸ビル所有者からの相談
当社は、都内のターミナル駅近くで、昭和41年に建てた地下1階・地上7階建ての貸ビルを所有しています。
当該ビルは、築年数が50年に迫り、最近行った耐震診断では、Is値が判定基準値(0.6)を大きく下回る階が複数あり、震度6以上の地震では中破・大破の可能性が指摘されました。耐震補強工事だけでも5000万円を超える費用がかかるとのことで、このまま延命するよりも建て替えてしまった方が合理的だと考えています。
他のテナントについては定期借家への切替えなどで段階的に退去が進んでいますが、ビルの5階で長年事務所を構えている公認会計士の方が、立地への愛着もあって退去に応じてくれません。
賃料は月額約19万円で、こちらからは立退料として鑑定した額を踏まえた132万円を提示していますが、相手方は1200万円以上を主張しています。
この場合、解約申入れによって賃貸借契約を終了させ、立退きを求めることはできるでしょうか。
老朽化を理由とする解約申入れが認められる要件は?
建物の賃貸人が、期間の定めのない建物賃貸借契約を終了させようとする場合、賃借人に対して解約申入れをする必要があります(借地借家法27条1項)。
もっとも、解約申入れがなされたとしても、それだけで賃貸借契約が当然に終了するわけではありません。建物の賃貸借においては、解約申入れに「正当の事由」が認められて初めて、解約申入れの効力が認められることになります(借地借家法28条)。
そして、借地借家法28条は、正当事由の有無を判断する考慮要素として、以下の事情を掲げています。
① 建物の賃貸人及び賃借人が建物の使用を必要とする事情
② 建物の賃貸借に関する従前の経過
③ 建物の利用状況及び建物の現況
④ 建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出(いわゆる立退料)
実務上、①の「建物の使用を必要とする事情」が中核的な考慮要素とされ、賃貸人側と賃借人側のそれぞれの使用の必要性を比較衡量することによって、正当事由の有無が判断されます。
そして、賃貸人側の使用の必要性が賃借人側のそれを大きく上回らない場合には、立退料の支払によって正当事由が「補完」されるという構造で判断されることが一般的です。
建物の老朽化や耐震性の不足は、③の「建物の利用状況及び建物の現況」に関する考慮要素として、正当事由を基礎付ける方向の事情として位置付けられますが、それのみで直ちに正当事由が具備されるわけではなく、賃借人側の使用の必要性との比較衡量を経て、不足する分を立退料で補完するという判断構造を取ることが多いといえます。
判例の結論は?
冒頭の事例は、東京地方裁判所平成28年8月26日判決の事例をモチーフとしたものです。
この事案において、東京地裁は、結論として、500万円の立退料の提供と引換えに本件建物の明渡しを命じる判決を言い渡しました。
本判決では、賃貸人側の使用の必要性、賃借人側の使用の必要性、立退料の算定の各点について、それぞれ詳細な判断が示されています。
以下、順に説明します。
賃貸人側の使用の必要性
本判決は、賃貸人側の事情について、本件ビルの築年数、耐震性能、補強工事費用、他テナントの退去状況といった事情を総合的に検討して、正当事由を基礎付ける事情が一定程度存在していたと判示しました。
具体的には、次の事実を認定しました。
・解約申入れがされた時点において、建築された昭和41年から45年程度が経過していた
・実施された耐震性に係る調査によっても、震度6ないし7程度の地震が発生した場合に中破又は大破となる可能性が指摘されるなど耐震性に重大な問題を抱える
・一方で、これに対処する補強工事には5000万円を超える多額の費用を要することが見込まれていたのであり、これを建て替えるという選択肢にも相応の合理性があったと考えられる
・本件ビルを賃借していたテナントのうち被告以外の者の多くについては退去が見込まれる状態になっていた
もっとも、本判決は、これらの事情があるからといって、正当事由が当然に具備されるとはせず、「賃貸人である原告が本件建物の使用を必要とする事情や建物の現況などの観点から、借地借家法28条所定の正当事由を基礎付ける事情が一定程度存在していたといえる。」という限度で評価するに留めています。
賃借人側の使用の必要性
本判決は、賃借人側の事情についても次のように判示し、賃借人側の使用の必要性も「相応に高い」と評価しました。
「他方で、被告は、本件建物において、平成7年から継続して公認会計士・税理士事務所を営業しており(前提事実(1)、(2)、(4)ないし(6))、従前の状況を継続していくことに相当の期待を持っていると考えられることなどから、賃借人である被告が本件建物の使用を必要とする程度も相応に高いと認められる。前記の原告側の事情と比較衡量しても、第一及び第二の解約申入れに、借地借家法28条所定の正当事由が具備されているとは直ちには認め難い。」
ここで重要なのは、本判決が、立退料を考慮しない段階では、賃貸人側の事情と賃借人側の事情を比較衡量しても、正当事由は「直ちには認め難い」と判断している点です。
賃貸人側にも一定の正当事由を基礎付ける事情はあるものの、賃借人側の使用の必要性もそれに匹敵する程度に高いと評価し、立退料による補完を必要とする事案であると位置付けたものといえます。
そして、本判決は、続けて、以下のように本件における賃借人の業種や本件建物の物理的位置を具体的に検討して、立退料による正当事由の補完を肯定しました。
「もっとも、被告が営業しているのは、公認会計士・税理士事務所であって、顧客から事務を受任して処理する者の信用が重視される業務であり、業務の性質上、事務所の立地によって業績が大きく左右されるとはにわかには想定し難く、物販や飲食店などの店舗等と比較すると、代替物件に移転することが比較的容易な業種であると考えられる。」
「また、被告が賃借している本件建物は、本件ビルの5階に所在しており、本件ビルの前を通行する者も容易にはこれを視認し得ないから、事務所を移転することによる影響は自ずと小さくなることが想定され、被告が他所において営業を継続することに大きな困難は生じないと考えられる。」
「このように、被告が公認会計士・税理士事務所の経営を継続するに当たって、本件建物の使用を継続することが必須であるとまでは考え難く、むしろ適当な代替物件を見つけて移転することにつき支障が比較的少ないと考えられることに加え、前記の諸事情にかんがみると、少なくとも、本件ビルに耐震性が不足していることが判明した後に行われた第二の解約申入れについては、相当な立退料が提供される限度において、借地借家法28条所定の正当事由が具備されるとみるべきである。」
なお、本判決は、耐震性不足が判明した後に行われた「第二の解約申入れ」についてのみ立退料による補完を認めており、これに先立つ「第一の解約申入れ」(耐震診断結果が出る前)については、立退料を加味しても正当事由の具備を認めていません。耐震診断結果という客観的な資料が揃った時点が、正当事由判断の起点となることを明確にした判断といえます。
立退料の算定について
本判決は、相当な立退料の額について、訴訟中の鑑定結果(立退料相当額442万円)を基準としつつ、賃借人の使用必要性の高さを勘案して、最終的に500万円の立退料が相当であると判断しました。
① 借家権価格の算定方法
立退料の主要な構成要素である借家権価格について、本判決が基準とした鑑定では、控除方式と賃料差額方式の双方による試算を経て、借家権価格は158万円と査定されています。本判決は、その内容について、次のように説明しています。
「本件においては、①借家権価格につき、控除方式による価格(自用の建物及びその敷地の価格から貸家及びその敷地の価格を控除し、所要の調整を行って価格を求める方式)及び賃料差額方式(評価対象建物及びその敷地と同程度の代替建物等の賃借の際に必要とされる新規の実際支払賃料と現在の実際支払賃料との差額の一定期間に相当する額に、賃料の前払的性質を有する一時金の額等を加えた額を求める方式)による価格を試算して検討した上で158万円・・・とすることが相当である。」
他方、本判決は、被告(賃借人)側の不動産鑑定(立退料相当額1244万5000円)について、「借家権価格の算定に当たって割合方式(借家権割合により求める方式)のみが採用されている点」に算定の合理性に疑義があるとして採用しませんでした。
②営業補償の算定方法
営業補償については、本判決が基準とした鑑定では、公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱を準用して、被告の業種及び経営内容等を総合的に考慮して284万円と査定されました。
他方、本判決は、被告(賃借人)側の不動産鑑定について、「営業補償及び移転費用等の算定に当たって新規の什器の購入費用なども含む見積額が全額考慮されている点」に算定の合理性に疑義があるとして採用しませんでした。
③ 最終的な立退料の調整
本判決は、以下のように述べ、鑑定結果に基づく立退料相当額442万円を基準としつつ、賃借人の使用必要性が相応に高いことを勘案して、最終的な相当立退料額を500万円と認定しました。
「本件の鑑定の結果が基準とされるべきであるものの、被告が本件建物の使用を必要とする程度も相応に高いと認められるから、本件における相当な立退料の額を定めるに当たっては、この点も勘案されるべきである。」
「このような観点を総合考慮すると、第二の解約申入れは、500万円の立退料によって借地借家法28条所定の正当事由を具備するものとみるべきである。」
本裁判例の特徴
本判決は、築約45年・Is値が判定基準値を大きく下回り震度6~7で中破・大破の可能性があり、耐震補強工事に5000万円超を要する状態という事情のみで正当事由が直ちに具備されるとはせず、賃借人の使用必要性との比較衡量を行ったうえで、立退料による補完を必要とすると判断したという点で、同種の事例と同様の判断枠組みを採用していると言えます。
また、立退料の算定において、士業の事務所は、「物販や飲食店などの店舗等と比較すると、代替物件に移転することが比較的容易な業種」であると評価したこと、裏を返せば、店舗業(物販・飲食)の事案では、業務の立地依存性が高いため、より高額の立退料が必要となり得ることを示唆するものともいえます。
このように、賃借人の業種ごとに立退料の水準感が異なり得る点を示したという点において特徴がある事例といえます。
この記事は2026年5月23日時点の情報に基づいて書かれています。
この記事の監修者
北村 亮典東京弁護士会所属
慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。 現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。
