不動産

ビルの建替えに正当事由が認められる場合であっても、立退料の提示額が低すぎるとして明渡請求が棄却された事例

2026.09.01

【賃借人からの相談】

私は、東京都内にあるビルの1階の小さな区画(床面積約12平方メートル)を借りて、輸入の洋服や雑貨を扱う店を約40年営んできました。契約を結んだのは昭和55年で、その後は2年か3年ごとに更新を重ねてきています。賃料は月額約7万円、共益費が月額約2万6000円です。

ところが先日、ビルのオーナーであるX社から、突然、次のような通知が届きました。

「このビルは昭和54年に完成した、いわゆる旧耐震基準の建物である。耐震診断の結果、耐震性が不足していることが判明した。ビルを建て替えるので賃貸借契約を解約させてほしい。立退料としては100万円を支払う

という内容です。

私はもう70代です。他にまとまった収入はなく、この店の売上げで生計を立てています。同じ場所で長く商売をしてきましたので、お客様も店の場所についてくださっています。近くで同じくらいの広さの物件を探し、内装をやり直して店を移すとなれば、100万円ではとても足りません。

耐震性が足りないと言われてしまうと、こちらも強いことは言いにくいのですが、約40年続けてきた店を、この金額で畳まなければならないのでしょうか。

建物の賃貸借を貸主の側から終了させるには「正当事由」が必要

期間の定めのない建物の賃貸借について、貸主が解約を申し入れた場合、賃貸借は解約申入れの日から6か月を経過することによって終了するとされています(借地借家法27条1項)。

もっとも、6か月前に通知さえすれば当然に終了するわけではありません。借地借家法28条は、貸主からの更新拒絶の通知や解約の申入れは、①建物の賃貸人及び賃借人が建物の使用を必要とする事情のほか、②建物の賃貸借に関する従前の経過、③建物の利用状況及び建物の現況、④貸主が明渡しの条件として又は明渡しと引換えに財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、「正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない」と定めています。

なお、モチーフとした裁判例の賃貸借契約は昭和55年に締結されたものであるため、借地借家法の経過措置により、廃止前の借家法1条ノ2所定の「正当ノ事由」の有無という枠組みで判断されていますが、考慮される事情や判断の枠組みは現行の借地借家法28条と実質的に大きく異なりません。

ここで注意していただきたいのは、立退料(財産上の給付の申出)の位置づけです。立退料は正当事由の判断において考慮される事情の一つにすぎず、立退料さえ払えば当然に明渡しが認められるというものではありません。

貸主側の事情だけでは正当事由として十分とはいえない場合に、金銭的な給付によってその不足を埋めるもの、すなわち、正当事由を「補完」する要素と理解されています。

立退料の算定にはいくつかの方式がある

立退料の額には、法律上の計算式があるわけではありません。実務では、

比準方式(借家権の取引事例と比較する方式)

控除方式(自用の建物及びその敷地の価格から貸家としての価格を控除するなどして借家権価格を求める方式)

借家権割合方式(借家権割合〔30%程度とされることが多い〕を乗じて求める方式)

賃料差額方式(現在の賃料と新規に借りる場合の賃料との差額を一定期間分評価する方式)

損失補償方式(公共用地の取得に伴う損失補償基準に準じて移転費用・営業補償などを積み上げる方式)

といった方式が用いられており、同じ物件でも算出額に大きな幅が出ることがあります。裁判所は、いずれか一つの方式に縛られるのではなく、複数の試算を参考にしながら裁量で額を決めるという運用をしています。

そして、実務上、裁判所は、貸主が申し出た立退料の額に多少の上乗せをして、「立退料○○円の支払と引換えに明け渡せ」という引換給付判決をすることがあります。

しかし、貸主の申出額と、裁判所が正当事由を補完するのに必要と考える額との乖離があまりに大きい場合には、上乗せによる救済がされず、明渡請求そのものが棄却されることがあります。

本件の主たる争点は

本件は、東京地方裁判所令和4年10月14日判決をモチーフにした事例です。

主たる争点は、貸主Xの解約申入れ・更新拒絶に正当事由があるかどうかであり、具体的には、

①耐震性の不足を理由とする建替えの必要性がどの程度評価されるか
②約40年にわたり店舗を営んできた借主Yの使用の必要性をどう評価するか
③正当事由を補完するに足りる立退料の額はいくらか
④貸主の申出額がその額に満たない場合、明渡請求はどうなるか

が問題となりました。

なお、本件のビルは、大地震の際に救援・輸送ルートとなる「緊急輸送道路」に面していたため、耐震改修促進法や東京都の条例により、所有者が耐震化に努めるべきものとされている建物でした。単なる老朽化による建替えの事案ではなく、こうした法令上の要請が建替えの必要性を後押しした点に特徴があります。

裁判所の判断

建替えの必要性について

裁判所は、平成21年に実施された耐震診断の結果の信用性を認めたうえで、次のように述べました。

「aビル」を含む本件ビルは、十分な耐震性能を有しておらず、大きな震度の地震が発生した場合に、倒壊する危険性が十分にあると認めるのが相当である。

そのうえで、公法上の規制の趣旨に触れ、次のように判断しています。

地震による建築物の倒壊等の被害から国民の生命、身体及び財産を保護するという耐震改修促進法や本件条例の趣旨に鑑みると、Xが、十分な耐震性能を有していない本件ビルの建替え又は耐震補強工事を行う必要性は高いというべきである。

さらに、建替えではなく耐震補強工事で対応すべきではないかという点についても、次のように述べました。

一般的な耐震補強工事を想定した場合の概算工事金額は、2億4530万円と多額に上ることが認められる一方(略)、本件ビルは新築されてから40年以上が経過していることからすると、Xに多額の費用を投じて本件ビルの耐震補強工事を実施するよう強いることは、必ずしも合理的とはいえない。そうすると、賃貸人であるXにとって、十分な耐震性能を有しない本件ビルを取り壊して建替えを行うため、本件賃貸借契約を終了させる必要性は高い。

借主Yの使用の必要性について

一方で、裁判所は、Y側の事情も正面から認めています。

Yは、Xとの間で昭和55年9月25日に本件賃貸借契約を締結した後、40年以上の長期間にわたり、本件建物を賃借して本件店舗を営業しており、Yは主として本件店舗での収入によって生計を立てていることが認められ、仮に本件賃貸借契約が終了することとなった場合、本件店舗を別の場所に移転するためにはYに相応の負担が生じると考えられる。
そうすると、令和2年以降、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、本件店舗で販売する海外の洋服等の買付けを行うことができず、本件店舗の売上げが激減したこと(略)を考慮しても、Yが本件店舗の営業を継続するため、Yが本件建物の使用を継続する必要性も相当程度あるものということができる。

そして、この使用の必要性の評価は、次のように立退料の議論につなげています。

もっとも、Yにおける本件建物の使用継続の必要性の基礎となる上記事情は、基本的に経済的な事情であるから、本件賃貸借契約の終了に伴って生じる損失を相応の金銭的補償によって補うことは十分に可能であると考えられる。

立退料が提供されれば正当事由を備えるとの判断

以上を踏まえ、裁判所は次のように整理しました。

本件解約申入れについては、XからYに対し、Yがこの時点で本件建物を使用することができなくなることに対する相当程度の金銭的補償を内容とする立退料が提供されるのであれば、正当事由を備えるものと認めるのが相当である。

つまり、この時点では、貸主X側の建替えの必要性が正当事由の基礎として認められていたわけです。残るのは金額の問題でした。

正当事由を補完する立退料の額

Yが提出した鑑定書では、控除方式1420万円、借家権割合方式1050万円、賃料差額方式731万円、損失補償方式499万円という試算が示され、Yは立退料相当額として1919万円を主張しました。また、訴訟中の調停において、調停官及び調停委員が借家権価格を927万円と査定する意見を述べていました。

以上を踏まえ、裁判所は、まず、立退料の額の決め方について次のような一般論を示しました。

建物賃貸借の解約申入れに必要な正当事由を補完する立退料については、当事者双方の建物使用の必要性等の正当事由の内容や程度を踏まえ、諸般の事情を総合的に考慮し、賃借人の不利益を経済的観点から軽減し、正当事由を補完するに足りる金額を裁判所が裁量によって決すべきものであり、明渡しによって賃借人が被る損失の全てを補償するに足りるものでなければならない理由はない一方で、公共用地の取得に伴う損失補償基準に基づく補償額に限定されると解すべき根拠はないし、本件において、借家権割合方式や控除方式による借家権価格の試算価格を参酌することが許されないものではない。

そのうえで、具体的な金額について、次のように認定しました。

Y鑑定書における各評価方式による試算価格は、499万円(損失補償方式)から1420万円(控除方式)と幅があるものの、その単純平均の額は925万円となること、本件訴訟中の調停において、調停官及び調停委員が借家権価格を927万円と査定する旨の意見を述べたこと(略)からすると、本件店舗の平成29年から令和3年までの5年間の営業利益(Yの事業所得)の平均は33万5636円であり(略)、Yが本件建物から退去して本件店舗を移転させることに伴う営業補償は少額にとどまらざるを得ないことを考慮しても、Yが本件建物を使用することができなくなることに対して必要な金銭的補償としては、900万円を下回るものではないものと認めるのが相当である。

このように、店舗の営業利益の平均が年間33万円あまりと決して大きくない事案でも、複数の算定方式の平均額や調停での借家権価格の査定が重視され、900万円という水準が示された点が注目されます。

結論――明渡請求は棄却

Xは、訴状では立退料100万円、その後の請求の趣旨の変更により「300万円までの範囲において裁判所が相当と認める額」の提供を申し出ていました。これについて、裁判所は、次のように述べています。

以上のとおり、本件解約申入れに係る正当事由を補完するに足りる立退料の額は900万円を下回るものではないと認められるところ、Xは、本件訴訟において、100万円又は300万円までの範囲において裁判所が相当と認める額の立退料の提供を申し出ており(略)、当該申出額の上限の3倍を超える金額の立退料の額を認定して引換給付判決を求める趣旨でないことは明らかである。したがって、結局、本件解約申入れについては、正当事由を補完するに足りる財産的給付の提供の申出がなく、正当事由が認められないものといわざるを得ない。

こうして、Xの明渡請求は全部棄却されました。耐震性の不足という、正当事由の基礎としては強い事情が認められていたにもかかわらず、貸主が申し出た立退料の額が裁判所の考える水準と大きく乖離していたために、明渡請求そのものが棄却されたわけです。

まとめ

貸主の側から見ると、建替えの必要性がどれほど高くても、立退料の提示額が低すぎれば明渡請求が全部棄却されるリスクがあるということになります。訴訟の前に、複数の算定方式や鑑定・調停での査定を踏まえて現実的な水準の立退料を見積もり、申出額に幅を持たせておくことが重要です。

借主の側から見ると、長年の営業や生計の依存は「使用を必要とする事情」として相応に評価されるものの、経済的な事情として金銭的補償で補完され得ると位置づけられやすいのが実情です。明渡しを全面的に拒み続けるよりも、鑑定などの客観的資料を示して適正な立退料を獲得することが、現実的な争い方になる場面が多いといえるでしょう。

この記事は、2026年9月1日時点の情報に基づいて書かれています。

この記事の監修者

北村 亮典東京弁護士会所属

慶應義塾大学大学院法務研究科卒業。東京弁護士会所属、大江・田中・大宅法律事務所パートナー。 現在は、建築・不動産取引に関わる紛争解決(借地、賃貸管理、建築トラブル)、不動産が関係する相続問題、個人・法人の倒産処理に注力している。

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